酔街対談 TAMABUKURO SUJITARO×JR MARQUES

玉袋筋太郎×JR MARQUESスナック対談

日本全国どこの町にもありながら未経験の人にはいまいち敷居の高い印象のある「スナック」。
スナック文化の魅力を世に広めるべく「一般社団法人 全日本スナック連盟」会長として、著書『スナックあるある この素晴らしき魑魅魍魎の世界』やテレビ番組、イベントなど、様々な活動をする浅草キッドの玉袋筋太郎さん。

そんな、スナックをこよなく愛する玉袋筋太郎さんと、30代にしてスナックの魅力に取り付かれた男、ハイブリッド・クリエイターのJR MARQUES(ジュニア・マーカス)さんがスナック対談を実施。お二人のスナック愛溢れるトークをお楽しみください。

■子どもの頃はスナックが大嫌いだった

JR MARQUES(以下JR):玉さんの実家はスナックだったんですよね。しかもちょっと特殊な。

玉袋筋太郎(以下玉):そうなんだよ。オカマバーとかじゃなくて、ホモが集まるスナック。元々、実家は雀荘だったんだけど経営が傾いてさ。困った親父が常連さんに相談したら、その人がホモで、ひょんなことからスナックに暖簾替え。場所は西新宿で二丁目(※1)から離れてたけど、かなり繁盛してたんだよ。でも、俺は中2でまだまだガキだったからさ。正直なところ不潔に感じちゃってたんだよね。

※二丁目:東京都新宿区新宿二丁目仲通りを中心としたゲイタウン。同性愛者向けのバーやクラブが軒を連ねる。

JR:1970年代だと、性的マイノリティにまだまだ理解がなかった時代ですよね。思春期となると、なおさら分かんないというか…。

玉:雀荘の時はさ、よく遊びに行ってたんだよ。大人に小遣いもらえるし、ジュースも飲み放題だったから。でも、スナックになってからは親父に「夜の世界の人が集まるから、危ないぞ」って言われてさ。客に俺がつまみ食いされないように身を案じてくれてたんだろうね(笑)。

JR:中2のときは玉さんも、きっと可愛い少年ですからね(笑)。少し距離を置いていたスナックに、また通うようになった、きっかけは何ですか?

玉:高校卒業して「たけし軍団」に入ってからは浅草のフランス座(※2)で修行してたんだよ。で、そこのオーナーがスナックも経営してて、店でバイトもしててさ。で、俺さ、人なつっこいのよ(笑)。常連さんとすぐ仲良くなっちゃう。だから、タダで酒を飲むこと覚えちゃったり、社長さんやお金持ちの人に家電を買ってもらったりしてよ。ああ、スナックってホントいい世界だなぁ〜って(笑)。

※フランス座:戦後から続く東京浅草六区の演芸場。かつてはストリップ劇場として、上品なストリップと幕間の爆笑コントを売り物としていた。玉袋はフランス座出身の師匠ビートたけしよりたけし軍団の恒例として劇場に預けられ、芸人修行を積んだ。

■新宿二丁目のスナックで号泣した35の夜

玉:30代になると、お笑いの仕事も安定してきてよ。忘れもしない35歳のある夜、友達のスポーツ新聞記者に二丁目のスナックに連れていってもらってさ。ママに「俺の実家、昔ホモスナックやってたんだよね」、な〜んて何気なく話したら「息子さんなの!? 若い頃、パトロン(※3)に連れられて通ってたわよ。ホント楽しいお店だったわ!」とか褒められちゃってさ。俺が嫌っていた商売で、親父はたくさんの人を喜ばせて、その金で一生懸命、俺を育ててくれたんだよね。

※パトロン:後援者、支援者。夜の世界ではバーやスナックのママ、ホステス、ホスト個人のひいき客や常連を指す

JR:まさに、「親の心、子知らず」ですね。いやあ、それ泣ける話だ! スナックにまつわる話ってホント人情系の話が多いですよね。

玉:なっ。親父にその話を聞かせてやりたかったけど、その少し前に死んじまってよ……。いろんな思いがこみ上げて来て、その場で号泣しちゃったんだよ。ホントありがてえなぁって。学費のバカ高いバカ私立高校にまで通わせてくれてさ。スナックってさ、苦労してる人が多いじゃない。バツイチとか、シングルマザーの女性とか。夜に一生懸命に働いて昼に子供を育てる。泣けるよなぁ。ちなみに、スナックで育った人は“スナッ子”って呼ぶんだよ(笑)。朝ご飯は前の晩のつきだし(※4)が定番だけど、これが美味いんだよ!

※つきだし:スナックではバーやキャバクラと違い、煮物や漬け物などママの手料理がお通しとして出される事が多い。ナッツ類などの乾き物はチャームと呼ばれる。